(雑記)東方紅魔郷の考察/後編
前回の記事の続きです。
そもそもなぜ紅魔郷を取り上げたのかというと、私が東方というゲームの二次創作を行っているということはいったん置いておくとして、
レミリアというキャラクターが、東方という作品において、”物語を畳んでいく”という行程において、
枢要な位置づけにいる気がしてならないからでした。
そう思い立って、まずはじめに疑問におもったのが、名前でした。
ほぼ全てのキャラクターが何らかの原作を色濃く反映した姿をしているのに対して、
スカーレット姓をもつレミリア一派には、その時代的な姿がまったくみえてきません。
その存在を裏付けるような存在は、本来フィクションに必要ないのかもしれませんが、
運命の変遷を司る――誇張表現ですがが――能力然り、
そのまま素通りしていいような存在ではない、と思いたいのですが、どうでしょうか。
先般記したプリズムリバーという名も、
レミリア・スカーレットと同じく、その姓をもつ貴族は西洋には見当たりません。
一次設定で”プリズムリバー伯爵”という存在は没落(したであろう)貴族であることをかんがえると、
“星・太陽・月”を家紋にもつ、現・西洋貴族(日本であれば家紋に該当するものはいくつかあるけれど)
に当てはめるのは、すこし無理があると思いたい。
ここで、プリズムリバーというキャラクターの着眼点を変えてみます。
プリズムリバーとは、ポルターガイストである、という点です。
浅野和三郎という、日本の心霊主義運動の父と呼ばれる方がいます。
彼はポルターガイスト現象を”ポルタアガイスト”とし、”騒々しい霊”と和訳体系づけた本人とされます。
氏は明治の頃を生きていた人であり、調べてみるとどうもその経歴のなかで、
かの小泉八雲に英文学を教授されていたようでした。
また、浅野和三郎氏は多くの著書を遺しているようで、ともすればその著書のなかに、
騒霊にたいする記述が、あるかもしれない。
つまりプリズムリバーという幻想的な名前は、著書の中に存在しやしないだろうか。
これらは、妄想です。
しかし、そう考えれば、レミリア・スカーレットという名前も、
この世界のどこかにある一冊の中の存在、だったりすると、楽しいですね。
それほど遠くない未来に、このあたりの謎は明らかになると、昨今の作品の流れをみていて、私は確信しています。
原作者による鮮明が、東方という作品に対する終止符になるのか、
はたまた転換点を与えるだけなのか、それはわかりませんが、たのしみです。