(雑記)鳥居について 

大阪に雪が降るとは、何年ぶりでしょう。
さて、雪は白いですが、神社でよく目にする「鳥居」とは、何色でしょうか。

多くの人は、赤色…または、朱色とこたえるとおもいます。
間違いではありません。

神社の形としての起源の形容は、たとえば産土型というような、自然を愛し、それらに宿った祖霊や神霊を祀るという、
この日本という国の環境を思えば、ごく当たり前の自然信仰の形態ですが、でははたして、
そもそもその当時から、鳥居というものは、存在したでしょうか。

結論からいえば、仮に類するものが存在したとしても、先にいう赤色ではなかったと思われます。
鳥居は、素材の加工のしやすさから、最初はそれは木であったはずであり、次点で石であるはずです。
そう考えれば、赤色・朱色という鮮明な色合いは、後世できた着色によるものであることは、なんとはなしに想像がつきます。
赤色は、不老不死(という概念)をうむための、最初の色(硫化物の)なので、
太陽や火の色と同じく、神性の色であることは疑いようもないです。

古代日本に、魔除けのために門である鳥居に血を塗る習慣・風俗があったのかもしれませんが、
そんな民族学的な話をすると、一記事を書くのに長い期間を要するので、ここでは書きません。

なぜ鳥居は、朱色をしているのか。
その答えは、この電脳世界には満ち溢れているので、私はかかないですが、
その「赤」という字の、原義をみていきたいとおもいます。

赤は、会意文字です。
甲骨文をみれば、赤という字は人と火が合わさっていることがわかります。

それはちょうど、人が火の上に立っている様にもみえます。
「え、焼き殺しているの?」と疑いたくなりますが、そうではないと思います。

周礼の秋官に、赤犮(せきふつ)氏、或いは翦氏という官職がありまして、
これらは薫・焚など火を用いて、禍害を防ぎ清める儀礼を掌る、とあります。
赦免という言葉にもあるように、赤が修祓の意味合いがあるのは、これでわかりますし、
赤心、赤手といえば、純一であることの表れでもあります。
つまり赤とは、清い色ということです。
それに連なる類語をみることで、その字の意味を、すこしだけ察することができます。

余談になりますが、説文解字によると赤とは、
「南方の色。大に従い、火に従う」とあります。

これは陰陽説にあてはめれば、五色でいうところの赤、五方でいうところの南、
五時でいうところの夏、四神でいうところの朱雀になり、ぴたりと合います。仏教にしても、赤とは南方のことです。
神社の向きが、天子南面す、という言葉にあるように、ほとんど南向きなのは、こういった考えがあるからです。

昔の人って、たいへん偉大だなあ、と思います。