(雑記)お墓について

私が足を運ぶ場所はほとんどが近隣です。

どうでもいいことですが、私が近隣とかんじる距離というのは、
電車の路線検索において、出発駅から到着駅までの所要時間が1時間以内である区間を指します。
勿論、乗り換えの数も重要です。
一回ぐらいが、具合がいいですね。
路線の所要時間が1時間以上などと表示されると、どこへ向かうにしても途端に行く気が失せてしまいます。
なんとも、ゆとりがありません。

此度赴いた先は、京都の亀岡です。
私の家の墓所は、ここ亀岡にあります。
つまり、お墓参りです。厳密には、旅では、ないかもしれません。

自宅から御堂筋を通って箕面有料道路を抜け、
きついヘアピンカーブの山道を超えた先に、霊園がみえてきます。
もし、電車でいくとなると、十三駅から京都線に乗り換えて、
桂で降りてからバスでゆくことになります。
これは残念ながら、先の一時間をゆうに超えてしまう。

まあ、用事が用事ですので、いかに私でも必要があれば電車でも行くと思います。

霊園の前は、膝を痛めそうな、馬力の弱い原動機付自転車では登れそうもない勾配の厳しい坂があります。
バスは、祝休日以外は、霊園まで入らずに、無情にもその坂の手前で停まります。
私の両祖母は生前、どちらも電車でせっせと足を運んでいたそうから、
まったく頭がさがる思いで、電車が1時間かかるとかどうとか言っていては、笑われてしまうでしょう。

青空の写真です。
これは、お墓が映らないように配慮して撮影した、霊園からみあげた空の写真です。
ちょっと写真が不自然なのは、そのせいです。

お墓参りをしていると、ふいにひとつ、疑問がわきました。
これは、前述しましたように、写真にはありませんので想像していただかないといけませんが、
私の目前に広がる、整然とならぶ墓郡というものを、
ごく一般的な庶民という階級が一家ごとに建てるという慣習は、いつごろ出来たのでしょうか。

冠婚葬祭といえば、お隣の国が発祥の儒教があります。
それが日本に渡ってきて、そこそこ体系づけられた時期を考えてみると、
鎌倉、室町、戦国期の動乱のさなかに、このような大きな墓があったとは思えません。

辞書をいま手にして書いているわけではないので、典拠として曖昧で申し訳ないですが、
時代劇などをみていても、庶民の葬儀は土葬であり、墓標は置石な気がします。
つまり、いつの間にか、社会的風潮がそうなった頃に、こうなったといえます。

私は、そういったビジネスの色合いを併せ持つ慣習は、だいたいが近代発祥だと思っています。
ただ、断っておきますが、それについて蔑視の感情は持っていません。
むしろ、私は「冠婚葬祭」は、必要だと思っています。
どちらかといえば、昨今の簡略化した--薄葬の流行にも、態度としては逆行していると思います。

しかし、これもまた、薄葬が必ずしも喪主の死者に対する気持ちの至らなさとは言えないと思います。
薄葬でも月に一度、必ず先祖参りするのであれば、それはよいと思えます。
逆に、高らかな葬儀のあとは、あとは住職に任せて気が向いた時しか先祖参りをしない人より、数倍もよいと思います。

衣食足りて礼節を知る、という言葉がある。

皮肉にもこの言葉を残した賢相がいた国は、未来において孔子を是としませんでしたが、
衣食足りても、礼節を知らなければ、どうなのかまでは教えてくれていません。