(雑記)余話「九尾の狐」

九尾の狐の行動の軌跡を表す言葉に「三国」という言葉があります。
それは「中国・天竺・日本」の3つというのが定説です。

なぜ、九尾の狐は、欧州の方角へ飛ばなかったのでしょう。
古代中国に住まう民族は、境界(国境)というものをいち早く意識しました。
その発端は商末周初にすでに顕れ、それは世界史的にいえば西欧では、
エジプト・メソポタミア文明の最中であり、これは酒のことをはじめて文献に載せたことで有名なハンムラビ王の時代です。

 話をもどすと、中国(=中原)という言葉の命名からもわかるように、
中国は世界の中心であり、自然とその一帯から離れるにつれ、文化・文明は劣悪になる――と彼らは考えている。

これは当時の中国人が、東西南北の果てを狄夷蛮戎と蔑称を用いて呼んでいたことからもわかるように、
当然のようにもっていた通念・価値観ですが、
九尾の狐が中国生まれだとするのなら、必然的に西方には足が向かない、と勝手ながら想像することができます。
そもそも東側(海の彼方)のほうが、魅力的にみえていたのは、事実です。

 西方には秦という国がありました。
中国をはじめて統一した、あの秦です。
けれど、当時の認識でも西方は野卑な国であるという認識が強かったようで、
事実、春秋時代の孝公の時代になるまで、風俗は荒んだものでありました。
それだから西より東だ、といえるわけではないでしょうが、蓬莱・扶桑の伝説にみられるように、
海の向こうの方――東にはある種の神秘性を抱いていた節があるわけだし、西側よりは、やはり新天地を想像しやすかったかもしれません。
 
さて、妖狐伝説において一際有名なのが、妲己という商末の帝妃です。
藤崎竜氏がデザインした封神演義にもでてきます。

流石に髪の毛がピンク色であったとは思いませんが、逆に黄色や黒色(美人の代名詞の色であるし)でないところが、
明らかに人外であることを強調しているともいえそうです。

さて、妲己という実在したのであろう人物を、掘り下げてみたい。
妲己とそのまま読めば「己姓の妲さん」という意味になります。(多分)
中国人は古来から姓・氏・諱(名)・字の複数の呼び名を持っていました。
現代の中国において、この慣習は失われていますが、説明するとこうなります。

姓・・・部族名 氏・・・氏族名
諱・・・忌み名(=名) 字・・・通り名

部族名とはこの場合でいうと「己姓」を指す。
己姓は、五帝時代の少昊が鼻祖です。
氏族名はというと妲己の場合「有蘇氏」を指す。
氏について補足しておくと、中国は氏を他から肖って改めることが、よくあります。
任官された官職名を氏にしたり、赴いた封地を氏にしたりと、過程は様々ですが前述の氏姓文化が消失してしまっていることも相まって、
もともとの血縁集団のルーツを辿ることが難しくなっています。

蘇は地名であり、冀・豫の辺りにいた氏族とされています。
ここからは伝承の域ですので、より曖昧な言い方にはなりますが、
妲己は、まず卑賤の娘ではないといえます。
当時の帝に迎えられるのだから当たり前ですが、ではその貴顕さはどこからくるのでしょうか。

有蘇氏は前王朝の夏の時代において、夏王桀を補佐していた伯号・昆吾氏の有力枝族だったそうです。
このことから、妲己も字はもっていたと想像できます。
が、妲が字でしょうか。

妲己は「蘇妲己」とも呼ばれるということもあり、
女を編にもっているので誤解しやすいですが、「妲」は氏姓ではありません。

妲というのはごくありふれた人名であり、そして命名には必ず意味がある。
諱と字の命名には対待をとる傾向があるので、とりあえず妲の単独としての意味合いをかんがえるのだが、私ごときではよくわかりません。

意味合いとしては旦(怛)に通じるようですが、単独としての字源が、説文でも字通でも、よくわかりません。

妲己を輩出した有蘇氏に目を向けてみたい。
有蘇氏は夏が商に取って代わられる契機になった鸣条の战いの前に商室に倒されており、
ために決戦に参加できずに、宗家の昆吾氏を喪いました。
前述したが、昆吾氏は夏朝を支える最有力族であり、有蘇は昆吾の枝族です。
商は、夏にかわって中国を統治するようになった有史の天下王朝です。
妲己は数百年を経た後に噴出した、有蘇・昆吾氏の復讐の念の塊――といえなくはないでしょうか。

古代中国には姓名には勃興があると考えられ、一度滅んだ氏姓は二度と隆盛しないと考えられた。
ちなみに商は子(姒)姓であり、周は姫姓です。
周を滅ぼす機会となった笑わない王妃の名も、面白いことに褒姒です。
これらはすべて、偶然でしょうか。

余談ですが、九尾の狐を妲己とするなら、秦の国の姓名を考えると、
かの国を横切ることは、出来そうにありません。