(雑記)”Pub”と”Bar”

パブとバーの違いとは、なんでしょうか。

たいへん平易に伝えるのであれば、パブが英国風で、バーがアメリカ風――といえば、
説明としては簡潔の極みだろうか。また、そう説明している人も多いとおもいます。

ですがこれは、必ずしも正鵠を射る答えではないことを知っておくべきです。
酒場、という条文が記された最古の文献は言わずもがな、ハムラビ法典や、或いはエジプトのパピルスですが、
パブという言葉が生まれたきっかけは、イギリスでもなくアメリカでもなく、イタリアにあります。

当時のイタリアは、ローマ帝国時代です。
領土拡大を秘めた帝国が必ずといっていいほど成すことといえば、道路の整備です。
幹線道路ができれば、その筋に宿場ができます。
東海道五十三次ではありませんが、これは歴史的必然です。

そしてこれを、当時はタベルナと呼びました。
タベルナはいまでいう宿泊施設兼、飲食店です。
要はホテルを意えばいいですが、タベルナと称した飲食店は、現代でも見かけることができます。
古式ゆかしいですね。

そして時代がくだるにつれて、その呼称もかわり、意味も変遷し、その部門も別々となりました。
こうしてようやく、パブやバーといった言葉がでてきます。
時代にして、18-19世紀のことです。

パブは、大きく二種類にわけられます。

「パブリック」と「サルーン」

つまり、労働階級と上流階級という区別がなされました。

こういうところがいかにもイングランド流ですが、
この区別こそ今の酒場の原型が生じた原因といっても過言ではありません。
パブリックという言葉にもあるように、そこは本来の目的は「社交場」でした。

自分たちが持ち込んだ食べ物を自前で調理し、おだやかに酒をかわし、話し込む。
それが当時のパブでした。

ちなみに、この時点では労働階級と上流階級は、ひとつ屋根の下にあります。
別の施設に、それがあったわけではなかったのです。

けれども時代が進むにつれ、顧客の区別化から施設を分けることが流行しました。
そうすると、パブは客足が減ります。
変化を余儀なくされます。

そうして――いわゆる酒場が生まれました。
それはもはや社交場ではなくて、消費を重視した「酒場」。
これが、日本でいうところの、居酒屋にあたります。

かくして「社交場」という題目は、パブではなくバーに移った――というのが、歴史的結論だとおもいます。


けれどもしかし、確かに現代のパブは、喧しくなったのかもしれませんが、
社交場ではなくなった、とまでは言い過ぎだろうな、と思っています。
私が彼らと直接現地で言葉を交わしたわけではないにせよ、もう少し若い頃、私はパブ(日本のですが)をよく利用していました。
皆が皆、楽しく酒を飲んでいたように、私には思えています。

ホガースの風刺画のようになれば話はまた違うのでしょうが、パブにはパブの、社交があったように思えます。
ただ、その喧騒から少し距離をおきたいと願う人は、一定数おります。

バーは、そういう人たちの受け皿であらねばならない、と考えています。

どちらかがどちらかを否定するような高慢は、忌むべきです。

ここからは余談ですが、「イン(INN)」という言葉があります。
インは、いわゆる、ただの宿場のことです。
先に説明した時代背景からして最初に生まれた施設は、インだとおもいます。
発展するにつれて食事も付随するようになっただろうが、それはもはやインではなかったはずです。

当時の宿場は、今では想像することも難しいが、食事は持ち込みが基本でした。
旅人であれ、軍人であれ、当然だが糧秣は持参でした。
もっと昔は、調理器具も持参でした。

東屋、里亭、ベルベデール。
いろんな呼び方が古来より生じては進化し、消えていくのです。