(雑記)ストリーマーについて

少し前から「配信者がゲームの売り上げを落としている」という説をよく目にするようになりました。
私は平成元年生まれなので、ゲーム世代だと自負しています。
コンシューマー機の成長に寄り添い、ネットゲームの進化と停滞も見てきたとも自負しているので、
知人も関係性のある業界で働いていることも手伝い、せっかくなので持論を書いてみようと思いました。

配信者(ストリーマー)の存在は、ゲーム開発会社の売り上げを、落としているのだろうか。
この答えは、いきなり腑抜けですが、どちらともいえない、が私の答えです。

ストリーマーは、人によっては途轍もなく影響力のある、リアルタイムのレビュアーだとおもいます。
彼らはもちろん、企業案件について酷評することはないと思うので、高い評価水準を維持することになる、とおもいます。
それを見て、購買意欲を刺激され、購入に走るから、売り上げは伸びる。とは、ならないとおもいます。

そもそも、直近で20年ほど前はネットが普及しておらず、その公告は紙媒体や、テレビCMでした。
そして多くの場合、テレビCMに影響を受けて、購入を決意する層が、大半だったでしょう。
テイルズオブシンフォニアの主題歌「StarryHeavens」とその映像を見て、昂揚感を得た人。
ファイナルファンタジーⅦのオープニング映像を見て、その壮大感にショックを受けた人。
例えがRPGばかりで申し訳ですが、あの志操擽られる感覚を、今でも覚えている人は、私の年代では少なくないと勝手に思っています。

翻って、今はどうでしょうか。
紙媒体の公告はほぼなくなったが、CM技術は、上がっているでしょう。映像も進化しただろうとおもいます。

けれど、売り上げは上がっていない。(?)
無論、技術の進歩にあわせて、コスト高になったことは否めないとおもいます。
ただ、それは今回触れずに置くとしても、ネットワーク技術の進歩・充実こそが、ゲームの売り上げに”悪”影響を与えているのだ、と私は考えています。

ネットワーク――インターネットは、相対評価の宝庫です。
20年前は絶対評価でしかありませんでした。要は、買うまで面白いかどうか、わからなかったのです。
友達や雑誌に聞くことは出来るが、はたして相対評価を求めた層は、今と比べてどれだけいたでしょう。
少なくとも、私の回りには、私を含めて、一人もいなかったと思います。

さて、話をストリーマーに戻します。
私は、ストリーマーをそれほど多く知っているわけではないから、あまり大きなことは言えませんが、
現況、企業側からすれば、ストリーマーの存在は「公告塔」であろうかと想像しています。
当然、昔のようなCM効果を期待されるはずであり、そうであるなら、そうあるべきです。

して、そうとなれば、ストリーマーは、どういう存在であるべきであり、どう振る舞うべきなのか、答えは自ずと見えてくると思います。

「購買意欲を刺激する」存在でなければなりません。

そしてそれは、私の考えでは、おいそれとその「存在」になることは出来ません。

リアクションに長けている必要がある。
製作者が意図した仕組みをよく理解し、適当な発言が出来る必要がある。
高い社会性と社交能力が求められる。
個人攻撃されるような発言・行動はしてはならない。

これは決してレイシストな発言だと思ってもらいたくはありませんが、
好感される容姿と、声音も必要です。

ストリーマー、特に企業案件を背負うストリーマーは、
ある意味で、より高尚な「職業」と化しているだろう。
「俳優」とかわりません。

おいそれと志して、手を出せるものではないと思います。
広告塔となったストリーマーは、何百、何千の人間の意思の集大成を背負っているのです。
それに専念専心、邁進すべきものであると思えます。