(雑記)進化と退嬰の歴史―前編

たまにはお酒のことでも書こうと思います。
よく前編と書くだけで、後編を書かない私ですが、この度は期待できます。

さて、もはやアフターコロナに向けて、世界は着々と歩みをはじめているように感じます。
寧ろ、今からではもう遅いといえる程に、早い人は随分とその歩みを先に進めている印象です。

数日前に、京都でホテルが続々と開業し始めているという番組が放映されていたのですが、
巷では、新興のウイスキー蒸溜所及び銘柄が、とにかく増えました。

ところで、これはウイスキーに限った話ではかもしれませんが、
ウイスキーの蒸留所の増減には、法則があります。流行り廃りのような、波があるのです。
ちなみに、今回の波を名付けるのであれば、三波でしょうか。

蒸留所の閉鎖理由は、有事などを除けば、専ら採算が合わないということが第一だとおもいます。
私は製造のプロではないので推量の上に多くの言葉は慎むべきですが、それでも酒類を少しでも取り扱う職業として少しだけ話すと、
製造は、無論そんな簡単で手軽な仕事ではない、ということだとおもいます。

商品作りのノウハウや巨額の設備投資、人材確保、
そして、商品の体を成すまでかかる時間が、とてもとても、長い。
後のブランドを傷つけてはならないため、下手なリリースは、後々に影響する。
これが、ベンチャー企業としては、大きなネックになるのだろうと、想像に難くありません。
だからこそか、新興蒸留所の名を聞いて調べた時、そもそもベンチャーではなくて、大手の別業態であることが多いです。

例えば、スモーキーなウイスキーで有名なアイラ島では、ファーキン蒸留所(仮称)が出来つつあります。
親会社は、ポートアスケイグやエレメンツオブアイラを出すエリクサー・ディスティラーズというボトラーズ会社です。
アードナホー蒸留所は、これも同じく独立系ボトラーズのハンターレイン社。
閉鎖蒸留所だったポートエレンは、モエヘネシーディアジオによって2023年には操業が開始される予定となっています。

ですが、現代における世の中は、昔ほど厳しくはないのでしょう。
東南アジア・太平洋諸国に周知されたという歴史は消えやしないし、なによりウイスキーを製造出来る企業は、ジンも作ることができる。
ジンは、ウイスキーより製造にかかる期間は、うんと短い。
そしてなにより、この興亡の歴史を直に受けたイングランドは、後学が生きていると感じます。
それこそ、ベンチャーとはいいつつ、実は大手なんですよという理屈がそれを物語っています。

後編では、我が国日本の新興蒸留所に触れてみたい。(ちかいうち)