(雑記)ララさん日記

先日、私が飼っている猫のうち、一匹が亡くなりました。
御年、20歳ほどです。

病院に連れて行く間もないほど、たいへん速やかな死でした。
危篤の報をうけたとき、私は夜間の営業をはじめる準備をしていました。
「大きく吐いた。駄目かもしれない」
そう母から伝えられても、まだ彼女に今際の時が直前まで迫っているとは、私は思いませんでした。
この時点で病院へ走っていれば、もしかしたら、もう少し生きていてくれたかもしれません。
ただ、もし私がその場にいても、もう病院へは走らなかった気がします。

年齢のせいもあるでしょうが、腎臓に疾患をもつために多飲多尿、食欲も齢に似合わず旺盛でした。
比例するように身体にお肉が増えてくれないので、逆に子猫食を混ぜて与えていた時期があった程です。
それでも、三匹いるうちの誰よりも貪欲で、なにかにつけて要求の声量も大きく、
最年長の風を吹かして、まさに敵なしといった体で、ちいさな躰を震わせてとてもエネルギッシュでした。

私の家では、歴代で10匹前後の猫と去就をともにしました。
里親へ旅立ったり、また居残り居座りでそのままなし崩し的に飼うことになったり、
そんな中でも彼女はまさに最古株ではありましたが、その間ただの一度も他の猫と喧嘩をしたことがない程に、
反して暴力が嫌いな、誰でも受け入れてくれる、たいへんやさしい猫でありました。

これについては、我々が保護するに至った理由のひとつとして、
彼女が野良猫だったときに、散歩中の犬に目を傷つけられ、
右目が不自由になってしまったことと、関係があるかもしれません。
思い返せば、猫じゃらしで遊ぶことや猫同士との掛け合いを含め、身体を動かすことをあまり好まない生涯だったように思います。

3年前の年末にも、一度倒れたことがあります。
そのときは夜間病棟へ走り、点滴をうってから嘘のように元気になり、
上記のような矍鑠闊達を絵に描いたような猫になりました。

現在の私は一日の3分の2を職場で過ごしているので、猫たちの世話は母に頼っています。
便や食事に異常があれば、ランチの営業前に猫のことを話しますので、そのときに話題にのるはずなのですが、
彼女が危篤に陥る日の前夜なども含めて、食は細かったようですが、必ずしも常と異なることがあったようにはみえませんでした。

彼女は、抱っこは嫌いですが、撫でられるのは好きです。
身体に触れると、短い声を発し、撫でてくれとお腹をみせる、あざとい仕草をします。
昨晩、私は彼女に触れましたが、弱々しいながらも、本当にいつもと変わらない姿だったように思えます。
私にとって、それがまさか最後の触れ合いになろうとは。


危篤の報を聞いて取り敢えずは、私の半身である家内に帰宅を促し、
様子を見に行ってほしいと頼みました。

その間、離れている私に何が出来るだろうと、忙しく考えました。
先の言葉とは矛盾していますが、一番最初に思いついたのは心臓マッサージでした。
犬と猫の蘇生術は、口を塞いで鼻から空気を送ります。
また、心肺蘇生のマッサージは力加減を除けば人間とかわりません。
そういった情報を繰り返し読みかえし、また実演動画をみて、適確に臨めるかの予習をしました。
ただ、彼女は生まれつき鼻がわるいので、動作の中で膿が詰まらないか、それだけは心配ではありました。

連絡の中ではまず、私の部屋に彼女をうつしてもらい、静かにいてもらうことを第一としました。
「私が帰るまで目を離さないように」
彼女は待っていてくれると、身勝手に彼女の力強さを盲信していたようです。
話の流れで、猫用の注射液があったのを想起したので、
それを経口で少しずつ飲んでもらうようにしました。

そんなやり取りの最中、しばらくしてから家内の帰宅の知らせを聞いて、
すぐまもなく、
眠りから覚めるときの仕草である横になりながらの背伸びをして、
まさに体に宿る力を全て脱くように、
永い眠りについたそうです。

彼女の活力に、身体だけがついていかなかったのだろうと。

葬儀は両親と、私共夫婦4人でおこないました。
谷町にある斎場で、たいへん丁寧なスタッフさんであったと思います。
お骨もたいへん綺麗で、想像以上に偉丈夫(女の子ですが)だったことが伺えました。
いまは小さな壺のなかに入って、我が家のご先祖猫の仲間入りをし、
のこる猫たちを見守ってくれる神様になられました。

勢いで記したので、しどろもどろなところが多々あるかもしれません。
最後、夢の中にまで会いに来てくれたやさしい彼女に、
おおいなる感謝の言葉とともに、彼女のことを記しておきたいと思ったので、ここに記しました。
記し足りない気持ちもありますが、この辺りで筆をおこうと思います。

私の半生以上をともに過ごした彼女には、
感謝してもしつくせません。